石見銀山での活動の様子を紹介します。


初日:12月5日

石見銀山世界遺産センターの見学

 

   大田市教育委員会石見銀山課調査整備係の中田健一氏よりセンターの展示ついてご案内いただきました。石見銀山の歴史変遷や銀の生産や技術についていろいろ教えていただきました。16世紀に、ヨーロッパの地図では日本を「銀鉱山」と記したことを聞いて、その時石見銀山の銀をたくさんの外国に輸出したことに驚き、またその顕著な価値をはっきりと認識しました。


銀山ゾーンの見学

 

 中田氏に同行いただき、銀山地区を訪れました。最初に訪れたのは清水谷製錬所跡。製錬所では往時の木造建築が既に失われていますが,AR技術を利用してかつての様子を紹介できる仕組みを導入する計画があるそうです。

 

 

   ここから龍源寺間歩に入ります。これは石見銀山における唯一、常時公開されている坑道です。ほかの間歩より広いとはいうものの,それほど坑道内は高くないため、頭に注意しなければいけません。間歩の左右にはたくさんの横穴がありました。中田氏より鉱脈の場所や当時の採石の方法等についてお話を伺い,江戸時代の過酷な坑内労働の様子を想像することができました。

                                                           

 


夕食会

当地域に会社を構える中村ブレイス株式会社の会長をはじめとする方々と夕食をご一緒させていただきました。中村ブレイスは石見銀山に本社を構え、義肢・装具や人工乳房などを製造し、世界30ヵ国から注文を受ける会社です。中村会長は自らの予算とアイデアで数多くの歴史建築を保存してこられましたが,そうした活動が今日の素晴らしい町並みの維持と継承につながっていることをお聞きし,尊敬の念を持ちました。美味しいイタリア料理を食べながら世界遺産について楽しい会話の時間となりました。

 

(12月5日 文責:張雯)


2日目:12月6日

大森地区の演習調査


午前 民家の修理、修景事業見学

 

 2日目の午前は、大田市 教育委員会 石見銀山課 建造物係の清水氏よりご案内いただき,大森町における修理、修景を行なった民家を見学しました。

 

 最初に訪れた民家は活用のために修理済み伝統的建造物でした。建物の基本構造は元の様子と同じく伝統的工法、材料で作り直しました。

 宿泊施設として利用される予定で、台所とトイレ,お風呂等には現代的な設備が導入されました。

当初はなかった窓を新たに開けるなど,生活や利用のために必要な改修は許容される部分があるものの,基本的な構造は維持されるという基本的な考え方が理解されました。

 

 これは公開している重要文化財の熊谷家住宅です。

 熊谷家は江戸時代に金融業などを営みながら、町役人や代官所の御用商人を務め、19世紀には大森の中で最も有力な商家の一つとして栄えました。現在の建物は1800年の大火後の再建ですが、その後順次整えられていった屋敷構えの変遷の様子や生活ぶりが窺える貴重な商家建築です。 

 現在、この住宅は「家の女たち」という地元の女性たちが運営しています。熊谷家を管理されている太田さんからご案内をいただきました。

歴史的な建造物が建物だけでなく,家財もふくめて往時の生活を想像させる貴重な場として利用されていることを学びました。

 

 これは修復中の青山家住宅の修理現場です。

 青山家住宅は18世紀に石見銀山に設けられた6軒の郷宿の一つです。郷宿は公用で石見銀山や代官所などに訪れた村役人が宿泊や休息で利用した施設です。

反解体修理工事で,柱の劣化部分の取り換えや,土壁のやり直しの様子を見学させていただきました。

 

 


午後① 講義

 

 午後は、今回滞在している宗岡(むねおか)家にて大田市石見銀山課の中田さんより,「石見銀山遺跡の野外博物館構想と整備事業」というテーマで講義をいただきました。

 

まず、「石見銀山遺跡とその文化的景観 範囲・特徴・価値づけ」についてのお話がありました。

石見銀山はティセラ日本図やドラード日本図など、西洋で作成された地図にもその名前が記述され、世界で古くから銀山としての地位が認められていたことがわかります。

 

 

 石見銀山の顕著で普遍的な価値は、その鉱山・鉱山町・街道や鞆ヶ浦、温泉津、沖泊といった港・港町から成り、銀山開発が始まった16世紀から現在に至るまでに銀山が辿ってきた歴史を物語ります。

 世界遺産登録の際に認められた三つの価値は、ⅱ文化の交流、ⅲ遺跡の遺存、ⅴ土地利用の総体です。

 

 

登録基準の具体的内容としては、

●登録基準(ⅱ):

16~17世紀初頭の大航海時代、石見銀山での銀の生産は、アジア及びヨーロッパの貿易国と日本の商業的・文化的な交流を生み出した事。

●登録基準(ⅲ):

 

石見銀山では「労働集約型経営」による採掘から精錬の作業が包括的に同じ場所で行われ、住まいなど生活の場も同じ場所に存在。また銀鉱石の質の悪化を受け19世紀後半に鉱山活動が停止され、結果多くの考古学的遺跡が良好な状態で現存。

●登録基準(ⅴ):

鉱山の遺跡、街道、港など採掘から精錬、輸出に至るまでの鉱山経営全体に関わる遺構の大部分が現在は山林の景観

                              に覆われており、文化的景観の「残存する景観」は銀生産

                              に関わってきた人々が生活してきた集落などの「継続する

                              景観」の地域を含んでおり銀山の歴史的な土地利用の在り

                              方を示している点。

                              が認められています。

 

 石見銀山の価値は、「小さなものがたくさん集まった」ものであると中田さんは言います。

 そして、一つ一つの構成資産が持つ価値や意味を理解するためには、十分な説明が不可欠でもあります。

さらに、総体としてシステムを理解することが必要ですが,一つ一つの構成資産を見て回るには一日ではとても足りないという事もまた問題です。

石見銀山の魅力を観光客に伝えるために、石見銀山課で現在考えているのが「野外博物館」という構想です。

 

 

 石見銀山での課題は、「広大で多様、なおかつ説明が不可欠」な遺産をどうしたら理解してもらえるか、です。

情報発信や発信方法も課題です。

また、現地理解を進めるための装置(整備)が必要であり,現在はAR技術を利用した設備の開発が進められている都のこと。

石見銀山で進められている様々な情報提供の方法や,魅力を表示するための仕組みについてご説明を頂きました。


午後② 中村ブレイスの修景

 

 講義の後は、中村ブレイスが過去に修景や修景新築を行った建物の数々を中村哲郎社長のご案内により視察しました。

 

 ここは柔道場として活用されている建物です。

このように、中村ブレイスが修景を行った建物は民家だけではなく公的なスペースとしても利用されているものも多くあります。

 

 

 これは世界一小さなオペラハウス、大森座です。

ここでは演奏会や石見銀山国際音楽アカデミーの受講会場等に利用されます。

外観からは予想できないような素敵な音楽ホールが内部には展開しています。

伝統的な街並みに音楽が広がっていく,素敵な世界が提供されているのです。

 

 

 こちらの古民家はこれから工事が開始される予定ですが、今後島根大学との共同プロジェクトにより図書館(仮)として活用される予定の建物です。

 使われなくなった古民家が、新たな役割を持って再び使われるようになる事はその建物の価値を保持し高める事が出来ると共に、大森地区にも新たな価値を付与する事が出来ると思いました。

 

町中を歩く中で,本当に数多くの民家が修理・修景されていることを知りました。このように企業が歴史的な街並みの維持・形成に大きな役割を果たしている国内でも貴重な事例であることが理解されました。また,民間と行政とが連携することで様々な可能性が拓かれるということについても学ぶことができました。

 

 夕食はおおもり会館にて石見銀山課の職員の方々との懇親会が行われました。

職員の方々から、世界遺産としての石見銀山の現状や課題などについてお聞きする事が出来、見学するだけではわからなかった石見銀山の行政的な課題や展望について知ることが出来ました。

(二日目午後 文責:松井)


三日目:12月7日

銀山ゾーンの見学

 3日目は銀山ゾーンと大森ゾーンの二班に分かれて調査を行いました。

 まずは銀山ゾーンの報告からです。

 

清水寺前休憩所から出発して見学を始めました。龍源寺間歩までの自転車で通行できる線路と龍源寺間歩からの遊歩道の線路を分けて見学の方法を決めました。

龍源寺間歩までの道路を見ながら記録して、観光客の側としてどんな雰囲気で体験できるか予想しながら提案を考えました。

 

駐輪場から龍源寺間歩まで300mの距離があり、周りの環境を確認しました。駐輪場の隣に高橋家という国指定史跡があります。今、ある部分を保護されています。また高橋家は面積が多くて広い建物の感じがします。

 

龍源寺間歩までの道中には多数の坑道があるようですが,それらの多くは見つけるのが難しいものです。今回は地図を見ながらそれらを探して歩いて行きました。

また甘南備坑の左には山吹城跡に行く道があります。

興味がそそられましたが,看板がやや見にくく,mた山の中で熊やハチなど注意されたという忠告もあり、今回は断念しました。

 

龍源寺間歩の出口から戻るの道で香り袋という小さい店があります。この店で一つの香りでけ商売しています。店のご主人さんと話して色々な情報をもらいました。例えば、石見銀山は毎年の3月から11月まで観光客が多く外国人では台湾から来た観光客が多いということです。

また、香り袋の作り方や香りの原料(くろもじという植物)、石見銀山の鉱石から銀を取る量などを説明いただきました。店の隣は当時の鉱夫が使った工具を置いています。その上、山に上下で並び二つの坑道があります。店の対面にお墓もあり,歴史的な風情を漂わせています。

 

 

続けて歩くと佐毘売山神社という古社があります。石見銀山にとって重要な神社とのこと。修理中であったため、近くで拝見することはできませんでした。神社の右側の小さい道から新横相間歩にいくことができます。

 

 

石見銀山ゾーン地区には,たくさんの碑やお墓を発見しました。碑に刻まれている文章が分かれば,歴史的背景をより掘り下げることができるのかもしれないと感じながら,通り過ぎていきました。また,お墓の多くも荒廃が進んでいるようでありました。

 

 

銀山ゾーン地区にたくさん寺院や神社もあります。ある寺院の建物は立派で、建築風格が綺麗で他の古社寺と比較しても特徴的です。

安養寺の建物の彫刻もまた特徴的でした。荒廃が進んでいる社寺もありますが、修理中のものもあり,それらが整備されれば間歩への道中に寄ることのできる魅力的な場所になることと思いました。

 

 

道端に下河原吹屋跡という遺跡があります。この遺跡については案内板で情報を得ることができます。二階の構造の木の建物がありますが,登ることができるのかどうか不明でした。

 

 

銀山地区にはあまり多くの店はありません。やまぶきという喫茶と銀の店という工房を発見しましたが、今は営業していないようです。

民家が連続する町並みを形成する大森地区とは異なって,銀山地区は歴史的な素材が点在しており,それぞれに魅力があると感じられます。

 

 

 

(12月7日銀山ゾーン地区 文責:姫 絵淳)

大森地区の見学

 大森地区の調査班からの報告です。

 

朝に宗岡家からを出発して、大森地区を調査しました。まずは大森地区の南部にある羅漢寺に行って五百羅漢を見ました。岩盤に3つの石窟を穿ち、石造の三尊仏と羅漢坐像500体を安置します。18世紀中頃の制作で、石見銀山の石造物文化を代表する信仰遺跡です。羅漢寺の弁天池にお金を洗いました。

 

 

それから石見銀山の観光案内所を伺いました。石見銀山ガイド会とベロタクシー待機所もここにあり、観光客におみやげを販売し、ガイドやベロタクシーのサービスを提供します。その後、周囲の寺院跡を訪れました。

 

 

大森伝建地区に入ってから、まず群言堂石見銀山本店に行きました。群言堂は服や雑貨などを販売しており,国内に店舗を展開しています。石見銀山の群言堂にカフェや小さな展示会などができるギャラリーもあります。

 

竹下錻力店を伺いました。お店の方から、このお店と石見銀山の歴史についていろいろと教えてもらいました。昔、銀山で採鉱する時に使用したガス灯等も見せていただきました。

正午前に先生たちと合流し、大森町のいくつかのお店を見学しました。

午後は大森地区の北部から城上神社、井戸神社、観世音寺などの神社と寺院を見学しました。

(12月7日 大森地区 文責:李 雪瑩)

温泉津周辺の見学

 

 

午後には,かつて銀鉱石の積出港であった港湾集落(沖泊・鞆ケ浦)の現状を見学しました。沖泊集落に60歳以上の7人しか住んでいないと聞きます。

集落の入口では恵比寿神社を見学しました。恵比寿神社は1526年、筑前国那賀郡芦屋浦の住人によって建立されたと伝えられています。本殿は16世紀に遡る古代建築で、かつては檜皮葺きで、蟇股を持つなど、綺麗な建物であったようです。

沖泊・鞆ケ浦地区は史跡に指定され、保存管理が行なわれています。しかしながら,高齢化と人口減少が進み,今後の維持管理が極めて困難になっている状況があることを目の当たりにしました。こうした状況は,日本各地で認められることと思いますが,なかなか抜本的な解決を見出すことは難しいことと感じました。文化財や文化的イベントや利用がこの問題を解決する手掛かりを提供できれば良いですが。

 

港湾集落(沖泊・鞆ケ浦)の見学を終えた後に、温泉津の街を歩きました。各所に谷地形の岩盤を削り取った痕跡が認められ,特徴的な景観が形成されたことが理解されました。

 

 

温泉津温泉に「元湯」と「薬師湯」二つの天然温泉があります。「元湯」は改修工事のため休業中なので、「薬師湯」を皆で体験しました。また、龍御前神社に「夜神楽」という演劇を楽しみに見ました。

温泉街や観光地において,こうした夜のイベントがあって,当地の文化を体験できる機会が提供される重要性を感じました。

 

 

 

(12月7日午後 文責:姫 絵淳)


4日目:12月8日

ガイドさんの紹介

 石見銀山ガイドの会の会長である安立氏より活動の内容について宗岡家においてご説明をいただきました。     

ガイドの会においてどのようなガイド研修をしているのか,またどのような案内を現場でされているのか,どのようなルートやサービスの仕組みがあるのか,など多岐にわたるお話をいただいました。また,外国人に対して英語と中国語の案内ができること,銀山町だけでなく,城跡や海岸で「天空の朝食」と呼ばれる美味い朝食や昼食,夕食等のプログラムがあること等についてもご紹介いただきました。

それまでの3日間で各自が抱えていた様々な疑問を質問させていただき,それぞれに解消することができました。

三つのグループに分けて調査する

 

前日に銀山地区を調査していたグループは,その付近の山上を訪れました。

途中,展望台があって,来訪者にとって全体を俯瞰する重要な場が準備されていることを知りました。三瓶山,城跡,大森の道並み等が見えます。しかしながら,あまり訪れる方が多くはなさそうであること,看板が傷んでいること等,少し残念な状況ではありました。

江戸時代初期の採石が行われ,精錬等が行われた集落の痕跡が残る山上地区を訪れました。

現場に設置されているパネルや,発掘調査の結果を示す平面表示による展示などが設置されていました。

全体として個人で訪れるには分かりにくさがあるかもしれませんが,貴重な痕跡であることが良く理解されます。

伝建地区の以前の様子と現状を比較するために,1970年代の写真と現状を見比べて写真を撮影しました。時間が限られていたため,準備していた写真全ての確認するには至りませんでしたが,どのように変化したのかだいぶ様子をつかむことができました。

石見銀山資料館の見学

   昼食後、石見銀山の資料館を見学しました。中には多くの歴史文物があります。

銀山に係る多様なものが展示されており,当時の様子や文化についてより幅広な知見を得ることができます。

出雲大社の見学

石見銀山を後にして,島根県を去る前に出雲大社を訪れました。

日本の伝統的な建築の力強い美しさと荘厳さが迫ってくる大社でした。