昆布山谷は水上町三久須へ抜ける街道があり、一帯には寺跡、集落跡、間歩が残る。特に五か山の一つで、代官所直営の御直山(おじきやま)である新横相間歩がある谷として知られます。
場所:新横相間歩
説明板の内容 新横相間歩(しんよこあいまぶ)
「横相」は弦(つる)と呼ばれた鉱脈を追いかけて掘り進む「ひ押し」という技術に対し、鉱脈の方向をあらかじめ調査して、弦の方向に直行するように横から坑道を掘り、坑内で掘り当たった弦を堀進む採掘の技術です。「ひ押し」は、地中深く掘るにつれ地下水が湧き上がり、作業ができなくなりますが、「横相」は、排水を兼ねた水平坑道などで、坑内にたまった地下水が処理できるようになりました。
この間歩の開発は江戸中期以後とされ、代官所直営の「御直山(おじきやま)」で「五か山」の一つでした。良鉱を多く出しており、最も採鉱が盛んな時期であった安政5年(1858)に働いた労働者は、鉱石を掘る「銀掘(かなほり)」23人、鉱石を運ぶ「柄山負(がらやまおい)」と銀堀の手伝いである「手子(てご)」7人という記録があり、そのほか水替(みずかえ)やに荷負(におい)などをあわせると総数50人ほどだったと推測できます。
坑道は、入り口から水平に約370mほど続いていますが、現在は約40m地点で崩れ、入れなくなっています。
写真提供:http://fukumitsu.xii.jp/syu_f/IwamiGinzan_.html