発掘調査ではじめて製錬遺構が発見されたのがこの地である。16世紀中ごろの遺構のほかにも江戸時代の文献に「三尺」とある灰吹炉や明治時代の藤田組に関連する建物跡も見つかっています。
文化13年の銀山旧記には「長崎より唐人なりと来たり住みます。朽多の頭に唐人屋敷,唐人橋という名あり」とあり、近くに小字(こあざ)朽多(くた)と唐人橋の名が残っており、唐からの技術導入をこの地区に伝えています。
過去存在した寺:神宮寺,妙像寺、妙本寺、蓮教寺、長楽寺、長福寺、虎岸寺、西福寺である。
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